2014年10月28日火曜日

白川郷・五箇山の合掌造り集落

文化遺産 1995年登録 登録基準4,5
豪雪地帯における伝統的建築物

白川郷と五箇山は伝統的な合掌造り家屋が残る集落群である。庄川流域に位置するこの地域は、急傾斜の山と谷に囲まれ、かつ日本有数の豪雪地帯であるため、かつては周辺地域と隔絶されていた。そのため家屋の建築様式から産業、家族制度に至るまで独自の生活文化が育まれた。
厳しい自然環境から家屋を守る工夫が随所に施されている。家屋の構造は、一般の日本の家屋に比べて規模が大きい。要因のひとつに、農耕に適した土地が少ないことが挙げられる。農地の分散を避けるため、住人20〜30人で暮らす大家族性が守られていた。
それぞれの集落の共通点のひとつに「」と呼ばれる相互扶助組織がある。豪雪地帯での生活は家族だけでは成り立ちにくく、結による協力体制が発展した。

富士山ー信仰の対象と芸術の源泉

文化遺産 2013年登録 登録基準3,4
人々の信仰を集め、芸術のモチーフとなった霊山

富士山は古くから噴火を繰り返す火山として恐れられ、また富士山に住まうとされていた神仏への信仰から多くの人々に敬われてきた。人々は噴火を収めるために浅間神社を建立した。
平安時代後期になると山岳信仰や密教などあわさった修験道の霊場として、多くの修験者を集めるようになった。遠くから拝む「遥拝」だけでなく、ご神体である富士山そのものに登ることが祈りとなる「登拝」が古くから行われてきた。
国内外を問わず芸術作品に多大な影響を与えてきたことも評価されており、葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「不二三十六景」などが描かれた。
構成資産は登山道や神社、湖や池に滝、遺産や旧跡などの25の資産で、富士山を望む景勝地として、静岡市の「三保松原」も登録された。

2014年10月24日金曜日

日光の社寺


文化遺産 1999年登録 登録基準1,4,6
▶日本近代の建築様式を代表する建造物

東照宮と二荒山神社、輪王寺の2社1寺に属する103棟の建造物群と周辺の自然環境が「日光の社寺」として登録されている。
神仏習合の霊場である日光山は、室町時代には数百の僧坊が立ち並ぶ霊場としてにぎわいをみせたが、戦国時代に豊臣秀吉と対立したことで衰退した。
東照宮はその後、徳川家光の時代に「寛永の大造替」と呼ばれる大改修を受け、現在のような権現造りを主体とする姿となった。八棟造り(入母屋造りの屋根、破風、向拝が複雑に入り組んだ構造で、のちに権現造りに発展したと考えられている。)で建てられた本社社殿は、寛永の大造替の前から残る貴重な建造物である。

2014年10月22日水曜日

平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・ 庭園及び考古学的遺跡群



文化遺産 2011年登録 登録基準2,6

▶︎浄土思想の宇宙観をあらわす建築と庭園

欧州藤原氏ゆかりの遺産である遺跡群。
藤原清衡の極楽浄土を作り上げようとした想いが受け継が11世紀後半から100年に渡り平泉は文化の隆盛を誇った。
資産構成は8〜12世紀に日本に広まった仏教の浄土思想の宇宙観に基づいている。仏教は日本古来の自然崇拝と結びついて独特の展開を見せ、11世紀末には末法思想が広がり、浄土思想が隆盛したことで、死後に仏国土(浄土)に行き成仏することを切望するようになった。
仏教とともに伽藍造営や作庭の技術も伝来したが、これが日本の水辺の祭祀場における水景の理念と結びついて独自の浄土庭園を完成させた。

2014年10月21日火曜日

ストラスブールの旧市街−グラン・ディル


文化遺産 1988年登録 登録基準1,2,4
交通の要衝として発展した仏独文化が融合する街

フランス東部のアルザス地方の中心都市ストラスブールは、ライン川を挟んでドイツと国境を接する。旧市街はイル川の中洲にあり、グラン・ディル(大きな島)と呼ばれる。この都市の歴史は、紀元前12年頃に古代ローマ軍が築いた駐屯地に遡る。ドイツ語で「街道の街」を意味する。
17〜20世紀の間にフランスとドイツの間で領有争いが激化し何度も帰属を変えたが、独仏の文化が融合する自由な気風と独立精神を育む結果となった。
旧市街に歴史的建造物が残る一方で、20世紀後半には欧州議会が置かれるなどEUの中枢としても機能し、ヨーロッパ統合を象徴する都市等新たな顔も見せている。

2014年10月20日月曜日

ルーネンバーグの旧市街

文化遺産 1995年登録 登録基準4,5

▶︎カラフルな木造住宅が目を引く港町
18世紀半ばにイギリスが建設した植民都市ルーネンバーグは、格子状の道路と均一な道幅が特徴。中心を走る幅24.4mのキング通りを除き、南北7本の通りは幅12.5mに、東西9本の通りは12.2mに統一されている。現地を知らない役人がロンドンの机上で都市計画を作り上げたため、所々が急坂になっている。
全体の2/3を占めるカラフルな外壁の住宅は19世紀に建てられたもので、ヴィクトリア朝建築の要素が見れる。

エディンバラの旧市街と新市街

文化遺産 1995年登録 登録基準2,4
▶︎新旧の魅力を併せもつスコットランドの首都

スコットランドの首都エディンバラの旧市街にあるエディンバラ城には、王冠や剣、軍旗の断片なのどほか、戴冠式に使われた「スクーンの石も展示されている。
新古典主義のジョージアン様式が取り入れられ、建築家ロバート・アダムが設計したシャーロット広場は、都市における新古典主義の傑作と評されている。

2014年10月18日土曜日

ラ・ショード・フォン/ル・ロクル、時計製造都市の都市計画

文化遺産 2009年登録 登録基準4
▶時計製造に特化したユニークな計画都市
隣接するラ・ショード・フォン/ル・ロクルは、時計製造という単一工業に特化した、独自の都市計画を行ってきた。居住区とアトリエ地区を隣接させ、伝統的な時計職人の文化と、時計製造の効率性を両立させている。
カール・マルクスは『資本論』で労働の分業について考察した際に、ラ・ショー・ド・フォンに触れて「工業都市」という用語を生み出した。

2014年10月15日水曜日

ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群

文化遺産 2003年登録 登録基準2,4
アンダルシア地方の都市ウベダとバエーサは、スペイン初のルネサンス様式の都市。
建築家アンドレ・ヴァンデルヴィラの手法は、ラテンアメリカの都市計画にも影響を与えた。

ピエンツァの歴史地区

文化遺産 1996年登録 登録基準1,2,4
イタリア中部のピエンツァは、15世紀のローマ教皇ピウス2世の命によって整備された街。
この地に生まれたピウス2世が、ローマ教皇に就任後、「理想の街」の建築を供給し、周辺の風景と融合した都市景観が実現した。

ザモシチの旧市街

文化遺産 1992年登録 登録基準4

▶東欧における近世の都市計画の見本
ポーランド南東部のザモシチは、国内初の後期ルネサンス様式の小都市。16世紀後半、貴族で政治家のヤン・ザモイスキは、自らが理想とするルネサンス都市の建築を建築家ベルナルド・モランドに依頼。
名前はザモイスキに由来する。

パリのセーヌ河岸

文化遺産 1991年登録 登録基準1,2,4

セーヌ河岸に広がる2,000年の歴史都市
パリの歴史は紀元前3世紀頃から始まった。6世紀初頭にメロヴィング朝フランク王国の首都となった。
1163年に着工し、1345年に完成したノートルダム大聖堂は、天井を軽くするリブ・ヴォールトやステンドグラスなど、細部に初期ゴシック様式の典型的な特徴が現れている。
19世紀後半の第二帝政下、セーヌ県知事ジョルジュ・オスマンの都市改造計画が実施され、コンコルド広場からシャンゼリゼ通り、そして凱旋門が立つエトワール広場までを見渡す、現在のパリの景観が完成。

2014年10月14日火曜日

アムステルダム中心部−ジンフェルグラハト内部の17世紀環状運河

文化遺産 2010年登録 登録基準1,2,4



運河を活用した計画都市
アムステルダムの中心部にある環状運河地区は、新しい港湾都市プロジェクトとして16〜17世紀にかけて運河が整備された。
アムステルダムから一番外側の旧市街からジンフェルグラハトまで扇状に広がっている。
運河沿いには切妻屋根をもつ均質的な建物が並び、港から入った物資が運河を通って街へ運ばれた。
この大規模な都市計画は19世紀まで世界の都市計画に影響を与えた。

キンデルダイク−エルスハウトの風車群

文化遺産 1997年登録 登録基準1,2,4


オランダ、ロッテルダム近郊に並んでいる19基の風車群。オランダの正式名称「ネーデルランド」は、低地を意味し、国土の4分の1は海抜0メートル以下の低地が占めている。
風車は当初、製粉用だったがやがて排水用に。湿地帯が農地や牧草地へと改良されてオランダは農業大国になった。




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2014年10月8日水曜日

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